浜松を拠点に「DUDE SIGNS」として活動するサインペインター、田辺竜太さん。18歳頃から横乗りカルチャーに親しみ、地元のショップ「THE ITAYA OUTLOW SERVICE」で20年以上働いたのち、43歳で独立。自らを“アーティスト”ではなく“DJみたいな職人”と呼び、デジタルの波を軽やかに乗りこなしながら、最後は自分の手で描いていく。YES GOOD MARKET(以下、YGM)には初期から関わり、会場のサインや装飾を担ってきた。さらに今年はESPOとの橋渡し役も。そんな田辺さんに、サインペインティングとの出会いから、現在の仕事観、そしてYGMと積み重ねてきた時間までを聞いた。
田辺竜太
浜松を拠点に活動するサインペインター。スケート、スノーボードなどを扱うショップ「THE ITAYA」で20年以上勤務し、店長を務めながらサインペイントをはじめる。2017年、43歳で独立し「DUDE SIGNS」として活動をスタート。全国のショップや飲食店を中心に、看板、ウインドウ、壁面などのペイントを手掛ける。仕事の相棒(愛車)はTOYOTAのDeliboy。YGMには初期から参加し、会場サインや装飾を担当している。
https://www.instagram.com/ryuta_san_dude_signs/
SALEの赤いPOPが、すべてのはじまり。

ーサインペインターになる前は、長くショップの現場にいたそうですね。
18歳ぐらいからスノーボードやスケートボード、サーフィンをはじめて、浜松の「THE ITAYA」で20年以上働いていました。店長をしながら、服にもかなり力を入れていて、景気が良かった頃は年に数回アメリカへ買い付けにも行くほどでした。LAで見た店を参考に店内にスケートランプを作ったり。自分のベースは、美術学校ではなく、完全にあの頃の横乗りカルチャーですね。


ーサインペイントとの出会いは?
店で書いていたPOPです。特に嫌だったのが、セール時期に貼る既製品の赤い「SALE」のPOP。店を格好良く作っているのに、あれを貼った瞬間にダサく見える。それで段ボールを赤く塗って、自分で文字を書くようになりました。

もっと格好いい文字はないのかとネットで探していたら、筆で文字を書く人が出てきた。「SIGN PAINTER」と書いてあって、調べたら手描きの看板屋だったんです。当時、日本語ではほとんど情報がなくて。アメリカにはすでにあるのに、日本ではまだ広がっていない。その感じが昔のスケートやスノーボードと重なって、「これは絶対やるべきだ」と思いました。

ーそこから、43歳で独立されます。
最初の5年ぐらいは完全に趣味でした。店に来るスケーターから「デッキに描いてください」と頼まれて、少しずつ仕事になっていった。大きなきっかけは、浜松の現場でNUTS ART WORKSと一緒になったことです。5日間ぐらい仕事を間近で見て、「ここなら頑張れば自分にもできるかもしれない」と思えた。そこから1年かけて店と話をして、2017年に独立しました。自分ではNUTSさんの弟子だと言っているんですけど、本人には「公認してない」と言われるので、“ずっと非公認の弟子”です(笑)。




ー美術を学んできたわけではないからこそのルーツもありそうですね。
昔から、絵を描くスケーターやアーティストにすごく憧れていました。マーク・ゴンザレスや、マーガレット・キルガレンのような人たち。自分も何度も絵に挑戦したけど、あまりピンとこなかった。でもサインペイントは文字じゃないですか。そこはすごくハマったんです。今でも自由に書いてと言われると、少し不揃いで抜けた文字が好きですね。
アーティストというより、DJみたいな職人。

ー周囲からはアーティストと呼ばれることも多いと思います。
でも、自分ではアーティストだと思っていません。どちらかというと職人、クラフトマンです。音楽で言うと、アーティストと呼ばれる人はシンガーソングライター。曲も歌詞も自分で作りますよね。俺はDJに近い。飲食店もやるし、ネイルサロンもやるし、町の大きな工場もやるし、いろんな場所の看板を描く。だから自分に強いイメージをつけすぎず、できるだけ無色透明でいたい。ヒップホップならヒップホップ、テクノならテクノを選ぶオールラウンドDJみたいに、その人や場所に合うものを選ぶ。それが自分には合っています。
ーその考え方は、デジタルとの付き合い方にも表れていますね。
最後は手で描くけど、そこまでのプロセスではデジタルを使うこともあります。現場の写真にデザインを当て込んで見せたり、サイズが大きければプロジェクターを使ったり。手描きのラフを何度も直すより、クライアントも完成形を想像しやすいし、修正もしやすい。最近はVRの導入も考えてます(笑)。

今はクライアント自身がChatGPTや生成AIでデザイン案を作って、「これを描いてください」と持ってくる時代。そうなると、逆に描く技術そのものをもっと上げないといけない。筆とインクだけにこだわらず、エアブラシも含めて手仕事としてできる幅を広げたい。アナログだけでも、デジタルだけでもダメで、その時代に合ったちょうどいいバランスが大事だと思っています。
ーお店時代に培った接客も、今の仕事につながっていますか?
そうですね。個人店なら、現場に行ってから3案ぐらい見せて決めることも多いです。図面だけでは、隣の店とのバランスや壁の見え方までは分かりません。相手と話して、好きな音楽や着ている服を見て、「この人ならこっちかな」とフォントを選ぶ。ここもレコードを選ぶDJみたいな感覚ですね。

ーそして今は、サインペイントの“間口”そのものを広げようとしている。
サインペインターの合宿所みたいな場所を作りたいんです。物件はもう借りていて、将来的には協会のようなものも作りたい。俺も52歳なので、自分がどうこうというより、サインペイントという小さな世界をカルチャーとして残したいんですよ。師匠たちが奥深いところを掘ってくれるから、俺はもっと入り口を広げる役割でいい。昔は「俺はアーティストじゃないから」と取材も断ることが多かったけど、この2、3年は、広げるためには自分が表に出ることも必要だと思うようになりました。
朝まで描いた看板の先に、11回目のYGM。


ーYGMには、かなり初期から参加しているんですよね。
最初の頃は出店側でした。友達が出るから遊びに行って、その次は「DUDE SIGNS」のブースを作って出ました。でも俺の場合、売るものがないじゃないですか(笑)。だから、その場で看板を書いたり、デモみたいなことをしていました。そうして3回目か4回目ぐらいの時に、ヒロさん(YGM主宰・湯本弘通)から「これからYGMをもっと大きくしたい。出店側じゃなく、オフィシャル側に入って一緒にやってほしい」と言われて。そこから会場装飾や各店のサインを担当するようになり、ずっと関わっています。


ー初期は、今とはかなり違う現場だったそうですね。
メインで動いているのが5人ぐらいで、「よくこの人数でこの規模をやってるよね」って言いながらやっていました。俺も看板だけじゃなく、駐車場や入口の整理のことまでやる。施工は毎回朝までで、イベントがはじまる時にはもう燃え尽きていることがほとんど(笑)。車で寝たり、現場に寝袋を持ち込んだり。今思えば学園祭みたいなノリでしたね。

今はアーバンリサーチが関わるようになって運営の骨組みがしっかりして、俺たちは施工やサインに集中できるようになりました。でも、ヒロさんのこだわりの強さは昔から変わらない。誰でも出られるイベントではないし、その厳しさも含めてYGMらしさだと思います。

ー今年のKVを手掛けるESPOとの橋渡しも、田辺さんだったそうですね。
ヒロさんから「今年のビジュアルをESPOにお願いしたいから、連絡を取ってもらえないか」と言われて、俺から連絡しました。ESPOは2000年前後からずっと好きだったアーティストです。何年か前、日本で個展をやった時に本人から突然DMが来て、制作を手伝ったことがあるんですよ。ESPOが下書きを作って、俺がペイントを手伝うような形でした。今回も、完成した原画を大きなキャンバスに描きます。自分の作品を描くのとは違って、別の人の表現を再現する仕事ですね。俺はもともと、そういう役割の方がしっくりくるんですよ。

ー昨年は10周年。今年、11回目を迎えるYGMをどう見ていますか?
10周年はさすがに感無量でした。「10年かぁ」って。最初は本当に少人数ではじめて、朝までみんなで作っていたイベントが、今は何十人、何百人という人が関わって成立している。もちろん通過点だと思いますけどね。ヒロさんは昔から「海外にも持っていきたい」と言っていました。そういう話が少しずつ現実に近づいているのを見ると、すごいなと思います。最初の頃から関わってきた分、その変化を近くで見られているのは面白いですね。
Photo:Shinsaku Yasujima
Edit & Text:Jun Nakada