京都を代表する観光地、清水寺。その参道である五条坂周辺には、煙を出しながら、日々器作りに勤しむ窯元がいくつもあった。そこで作られていた器が「清水焼(きよみずやき)」だ。そして、YGMに参加する「TOKINOHA」は、その清水焼をいまに伝える器ブランド。代表は清水大介さんという。苗字の読みは、しみずではなく「きよみず」。下積みと試行錯誤、そして自身の名前と向き合うなかで、その器はいま世界のレストランから愛されている。これまでの葛藤と道のり、そしてYGMに懸ける思いを聞いた。
清水大介
1980年生まれ、京都府出身。曽祖父に5代目・清水六兵衛をもち、父も陶芸家として活躍する家系で育つ。大学では建築を専攻し、卒業後に陶芸の道へ。京丹波の作家の元で3年間、住み込みで修業を積んだのち、2009年に「TOKINOHA」を立ち上げた。
https://www.instagram.com/tokinoha_kyoto/
江戸時代から京都で続く清水焼を、現代に繋ぐ。

ー「TOKINOHA」は清水焼を作られていますが、そもそも、清水焼とはどういったものなんでしょうか?
清水:清水焼は、清水寺の周辺で作られていた焼き物の総称でした。当時から、ならではの技法や土、釉薬といったものはなく、いまの定義としては、京都で作られている陶器すべてが清水焼となります。
ーなるほど。
清水:いまでこそ清水寺に続く五条通りは車線がいくつもある広い道になっていますけど、昔は片側1車線ずつのすごく狭い道で、その両脇に登り窯が20基くらい並んでいたんです。
ーその面影はほとんど見られないですよね。
清水:65年前くらいに全部撤去されました。1番の理由は煙問題。街も栄えてきて、住む人が増えていったので、移動するほかなかったと聞いています。


ーそもそも、なぜ清水寺のあたりにそれだけの窯が集まったんですか?
清水:京都は他の産地とは成り立ちが違うんです。普通の産地は、土が掘れる場所の近くに窯場ができて、その土に合った焼き方を発展させていくんですけど、京都はそもそもあまり土が掘れない。ただ、京都は都でしたから、器をオーダーメイドしたい大名や公家も多く、それで発展していったそうです。

ーそこにいられなくなった窯元は、その後どうなったんでしょうか?
清水:いくつかの場所に散っていって、その中のひとつとしてできたのが、ぼくらの拠点でもある、この清水焼団地です。もともと何もなかった場所を一から整地して作られたので、割と新しい町ですね。
ー清水さんが陶芸の道を志した理由もお聞かせください。
清水:僕からすると、ひいじいちゃんが5代目の清水六兵衛(清水焼の名工)にあたります。父も作家でしたので、小さいときは父の器でしかご飯を食べたことがなかったです。

ー陶芸一族に生まれたと。
清水:そうなんです。大学では建築を学んでいたんですけど、卒業後に「やっぱり陶芸をやりたい」と思い立って、陶芸の学校に入り直しました。卒業後は京丹波の先生のところで3年間住み込みで修業をして、それが終わって京都に戻り、妻と一緒に「TOKINOHA」を立ち上げました。それが2009年のことです。
器の縁は、人でいうところの顔。


ー恥ずかしながら、清水焼というものがあることを、これまで知りませんでした。
清水:そうだと思います。大体みなさん「しみずやき」って呼びますし(笑)、清水焼自体、正直ブランドとしての強さはあまりないので。ぼくも最初は、うちで作っている焼き物を清水焼と呼ぶか迷いがありました。
ーそれはまた、なぜですか?
清水:それを表立って言うと、古いものを作っていると思われる感じがして。いまも、多くの若手がそう感じていると思います。ただ、時間の経過とともに、清水焼団地に工房があって名前も清水なのに、作っているのが清水焼じゃないと言い張ることに違和感を感じるようになってきて。だったら背負っていった方がいいんじゃないかと思うようになったんです。

ーいまは有田であれ益子であれ、産地で買うことは少なくなっているような気がします。
清水:そうなんですよね。どちらかというと、いまは個人やブランド単位で見られる時代。それでも僕はこの土地で、清水という名前でやっている以上、清水焼という言葉自体をなくしたくはないので、これからも使っていくし、発信していきたいと思っています。
ー手法や使用する土に決まりがないとしても、通底する空気のようなものはありますか?
清水:良くも悪くも、品はあると思います。ぼくも若い頃、もっと荒々しくてエネルギッシュなものに憧れたことがあるんですけど、京都で生まれ育ったからか、そっちに振り切れなかった。破壊的な表現よりも、繊細で軽く、美しく作ることが良しとされる文化が昔からあって、そのDNAが自分の中にも、清水焼自体にも流れていると思います。

ー「TOKINOHA」の器は、たしかに繊細で、薄く、軽いのが特徴のひとつのように感じます。
清水:「日常使い」というコンセプトがあるので、そこはこだわっているところです。ただ、薄いと欠けやすいこともあり、一時期は厚くするべきなのかなと悩んだこともありました。でも厚くすると、明確に手に取られなくなるんですよ。器の縁の部分って、人間でいうところの顔だと思っていて。人を見るときに最初に顔を見るのと同じで、器も最初に縁に目がいく。だから縁の薄さや形は、一番こだわっています。
50社との取引を1日でやめて、再出発。

ー流通や職人の働き方の改善にも力を入れていると伺いました。
清水:今でこそ、後世に清水焼を残したいという思いでやっていますけど、設立当時はまず食っていくことが目的でした。そこから50社くらいと取引ができるようになったとき「このままずっと忙しいだけでいいのかな」と疑問を抱くようになったんです。同時に、その頃に手伝ってくれていた職人の給料が、僕が京丹波時代に受け取っていたのと同じくらい。要は、ずいぶん安かった。そうなると担い手は減る一方。そこから、この職人たちが、親方に言われた仕事だけをやるんじゃなく、自分でクリエーションもできて、一般的な仕事と同じくらいちゃんと食べていける環境を作れたら面白いんじゃないかと考えるようになりました。

ーそこから、直売への転換に踏み切ったんですね。
清水:そうです。卸売の場合、1000円で店頭で売るとなると、ぼくらは500円や600円で卸すんです。一方で、自分たちで直接売れば、1000円で売れますよね。となると、みんなの給料も増やせると考えて、1日で50社との取引をお断りしたんです。
ー思い切った決断ですね。不安はなかったですか?
清水:もちろん不安しかなかったですよ(笑)、同じ時期に、レストラン向けにオーダーメイドで器を作るという構想もあって、それも合わせてやっていきたいと思っていたんです。やっぱり、何かを始めるには、先に何かをやめないといけない。新しいことが軌道に乗ってから辞めるのではなく、まずは辞めるのが先。それは今もずっと自分の中にある考え方です。


ーレストラン向けのオーダーメイドは、その後、いかがですか?
清水:すごく大きなマーケットで、ターゲットは全世界ですし、このクオリティでオーダーメイドをやれているのは、世界でもうちくらい。なのでいまは、欧米の三ツ星レストランがうちの器を使ってくれていたり、京都の高級ホテルでも使っていただいています。そのホテルに泊まったお客さんが「これどこの器?」となり、そのままタクシーでうちまで買いに来てくれることもよくあるんです。
ー結果、働く環境はどう変わりました?
清水:年々給料も上げられていますし、休みも増えて、有給もちゃんと消化できるようになりました。まだまだ道半ばですけど、みんな楽しくやれているんじゃないかなと思います。
友人の紹介から始まった、YGMとの接点。

ーYGMに参加することになった経緯を教えてください。
清水:食のメディアを運営している友人がいるんですけど、彼から急に連絡がきたんです。彼が「アーバンリサーチ」と別件で仕事をしていたみたいで、その流れで今回のイベントの誘いを受けました。
ーこれまでも、イベントに出店したことはあったのですか?
清水:もちろん。駆け出しの頃は、手作り市みたいなところにも出ていました。おばちゃんのバッグが並んでいるような会場で、1日2,000円しか売れなかったこともあります(笑)。いまも、清水焼団地で行う陶器市には、主催側として関わりながら出店しています。
ーYGMについて、漠然としたイメージはありますか?
清水:恐縮ながら、今まで知らなかったんですが、圧倒的におしゃれなイベントなんだろうなとは思ってました。いらっしゃるお客さんたちの感度も高いんだろうなと。


ーありがとうございます(笑)。では当日、持っていく予定のものがあれば教えてください。
清水:ブルーに発色させたコッパーのシリーズと、もうひとつのシグネチャーであるアッシュのシリーズが中心になると思います。他にも、いろいろ仕込んで持っていくつもりです。

ー最後に、YGMに出店するにあたっての意気込みをお願いします。
清水:最近、社内で「どういう人たちに向けてものを作っていくか」という話をよくするんです。そこで必ず出てくるのが、単純な高級志向ではなく、職人の手仕事に対して、本質的に共鳴してくれる人ということ。ぼくらも高級レストランとの取引が多いんですけど、そうした店の中でも、生産者の思いを大切にして体現しているレストランとは、ぼくらの器も特に相性がいい。今回のYGMも、きっと似たような視点を持っているお客さんが多いと思うので、少しでも多くの人に届けられたらと思います。
Photo:Shinsaku Yasujima
Text:Keisuke Kimura
Edit:Jun Nakada